私が記事を書く際、最もこだわっている点の一つは「接続詞」である。
意識して数えてみたことはないが、おそらく私ほど多くの接続詞を入れるライターは、少なくともマジックとデュエマのライターではいないのではないだろうか?
では、なぜ接続詞にこだわるのか。
それは、読者に対してその段落に書いてあることを予告することで、論理展開を掴みやすくするためだ。
時間に追われている現代で私たちが文章を読む際には、自ずと一言一句を追って読むことは稀になる。多くの場合、細部は捨象して段落ごとに大意を掴むことで、最低限の論理展開を追おうとするだろう。
だがその際に接続詞がなかったら、読者は論理展開が把握できなかった段落を読み直す羽目になり、無用な負担を強いられることになってしまう。
接続詞は道路標識で言えば、「↑」あるいは「↱」とか「↰」と似たような役割である。読者はその論理という道を走ったことがないのだから、標識を見なければ論理の筋を正しく辿ることができない。そして道路と違う点として、読者は文意が理解できなければ諦めていつでも離脱してしまえるのだから、読者が正しくかつスムーズに文意を把握できるよう、標識は置きすぎなくらいがちょうどいいのだ。
また接続詞の別の役割として、ライター自身にとっても主張したい論理展開を明快にさせる機能がある、という点も見逃せない。
接続詞を使うということは、論理関係が否応なく示されてしまう、ということでもある。であるならば、曖昧に濁すことで自己分析から逃げたり、保険をかけるなどといった甘えは許されなくなる。
そしてだからこそ、自問と自己解決を経た精度の高い言語化が可能になるのだ。
もちろん接続詞には文章のリズムを損なうというデメリットもあるため、対戦カバレージの終盤など、文章にエモ要素が欲しい場合には意識して減らした方が良いこともある。
しかし文章というものが他人に理解してもらうためのツールである以上、理解するための標識となる接続詞は、基本的には設置しておいて損はないと言えるだろう。
Q.なぜ記事に接続詞を入れた方が良いのか?
A.読者に対してその段落に書いてあることを予告することで、論理展開を掴みやすくするため。
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