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— Yuya Hosokawa (@yuyan_mtg) July 13, 2020
死の影
アロサウルス乗り
黒焦げ
マナの税収
溶岩の打ち込み
補強
山賊の頭の間
上級建設官、スラム
苦花
サバンナ・ライオン
激情のゴブリン
砂丘乗りの無法者
禁止改定は何から何まで大外しでしたね。まあそういうこともある。パイオニアはホンマにそれでええんか?🤔🤔🤔と思わなくもないが……。
さて、今日は「特定の個人に焦点を当てたフロムザヴォルトを作ったらどうなるか?」というムーブメントに乗っかり、上記のゆうやんのツイートにあるカードに関する私のエピソードを軽くまとめてみることにする。とはいえ、私の場合はdiarynoteやmtg-jp、晴れる屋などに逐一足跡となる日記や記事が残っているので、基本的にはそれらに外部リンクを貼るだけで済む (それがこのテーマを選んだ主な理由だ)。
ちなみにこういうのは自分では選びづらいということもあり、今回のように他の人に選んでもらえると「あ、他人の記憶に残った自分てこうなんだ」という気づきが得られてありがたい。もちろん、なかには「え、それそんな大した話あったっけ?」というカードもあるが……。
■ 1. 《黒焦げ》
https://60486.diarynote.jp/?day=20051022
https://60486.diarynote.jp/?day=20051023
私のマジックキャリア自体は「ウルザズ・レガシー」くらいからスタートしているのだが、途中大学受験で触っていなかった期間があることもあり、ある程度ガチで大会に出るようになったのは再開した「ミラディン」あたりからだった。
その頃「都道府県選手権」という大会があり、東京都選手権に出場した私は、トップ8に入賞し、初めて公のカバレージに残るような成績を残すことができた。
そのときの相棒が、当時流行っていたスライ軸ではなく、速攻持ちで最低2点火力になる《空騎士の軍団兵》以外のクリーチャーを大胆にサイドボードに落としたフルバーン軸の赤白、「黒焦げチャーリー」である。
《碑出告の第二の儀式》という特殊勝利カードを愛用していたことからも、強さと両立した独自性を愛するという今につながるメンタリティが窺える。
■ 2. 《激情のゴブリン》
https://60486.diarynote.jp/?day=20051028
「ラヴニカ:ギルドの都」が発売した当時の私は渋谷にあった「ザ・フォーラム」という店に通い、4ドラや6ドラに明け暮れる日々だった。
ギルドというものがマジックで初めて導入されたセットということもあり、ラヴニカ×3のドラフトはとにかく新鮮で面白かった。まだリミテッドが下手だった私は、ドラフトにおいて相手が多少もたついたら簡単に勝てる上に、上記の相棒であった《空騎士の軍団兵》がピックできるボロスを半ば決め打ちでピックしており、その執着ぶりによってチームドラフトのチームメイトにしばしば迷惑をかけていた。
そんな折、FNMで珍しくフォーラムに8人が集まってチームではない個人ドラフトの卓が立った際、1パック目の1手目で私が引き当てたレアは《呪詛》であった。
唱えることさえできれば相手の盤面が必ず壊滅するこのカードは、神河物語における《曇り鏡のメロク》、神河謀反における《梅澤の十手》。まごうことなきボムレアである。
しかし私は、チームドラフトではないため絶対に他人に迷惑をかける可能性がないというのをいいことに、懲りずにボロスを決め打ちした。そのピックが《激情のゴブリン》……1マナ1/1、ブロック制限能力はあるとはいえ通常初手ではほぼ取りえないアンコモンであった。
その後は決め打ちがハマり、私は2-0したものの、最終戦で上家のゴルガリにボコボコにされて終わった。その後の感想戦で《呪詛》を流したことを白状したら、場が騒然とした……といった次第である。
さすがカリスマ! 呪詛流して激情ゴブリン!
— のび太bot (@nobi_bot) June 27, 2020
それ以来、「《呪詛》流して《激情のゴブリン》」は、私の奇抜なピックを表す代名詞の一つとなった。
■ 3. 《溶岩の撃ち込み》
https://60486.diarynote.jp/?day=20060302
https://60486.diarynote.jp/?day=20060303
2005年の年末につくばや宇都宮まで遠征して初めてPTQを抜けた私は、初参加となるプロツアー・ホノルル2006に乗り込んだ。
だが、都道府県選手権での成功から5か月足らずで成功体験が払拭できていなかった私は、そこでもバーンを持ち込んだ。折しも「ギルドパクト」が発売し、《オルゾヴァの幽霊議員》《清麻呂の末裔》といったライフゲインに長けた優秀なミッドレンジクリーチャーたちが出た直後のことである。
ありとあらゆる新カードに叩きのめされた私は、1勝7敗という散々な成績で初日敗退を喫した。
《溶岩の撃ち込み》というカードは、初トップ8の都道府県選手権の美しい思い出だけでなく初プロツアーの苦い思い出とともに、今でも私が大好きなカードの1枚である (ちなみにラヴニカより前の神河物語ドラフトでも、早い手順ではないものの暇さえあればピックしては2~3枚デッキに入れていた)。
■ 4. 《サバンナ・ライオン》
https://60486.diarynote.jp/?day=20070316
https://60486.diarynote.jp/?day=20070317
https://60486.diarynote.jp/?day=20070318
私のシャカパチの癖の酷さは私を知る者たちには有名ではあるが (動画を見るなどすれば一目瞭然だが)、当時は確かまだ固い二重スリーブが一般的ではなかったこともあり、私が使用するカードたちの「反り」は三日月もかくやといった具合であった。
愛用のボロスとともに臨んだグランプリ京都。初日を7-2で抜けるも、2日目早々に1勝2敗して後がない状態。そんな状況で迎えた次のラウンドで事件は起きた。
ジャッジ「メインボードとサイドボードの反り具合が違いすぎます」
そう、度が過ぎるシャカパチによってついに実害を被ったのである。
しかもデッキチェックが行われたのはゲームカウント1-1となってさあ3本目を始めるぞというタイミングでの出来事。当然ゲームロスとなり、マッチ敗北で上位入賞の可能性を失った私は、渡辺 雄也が鮮烈なデビューを飾った京都の地で、愛用の《サバンナ・ライオン》(カードの芯がすっかりなくなってぐにゃぐにゃの状態) とともに己の不注意を呪ったのだった。
■ 5. 《砂丘乗りの無法者》
https://60486.diarynote.jp/?day=20071117
私のデッキ構築の手法は、メタゲームから見出した何らかの「課題」に基づき、その課題を解決するカードやコンセプトを中心にデッキを構築するというものが多い。
2007年のFinals予選当時、スタンダードは「青黒マネキン」という、序盤に想起で墓地に落とした《叫び大口》や《熟考漂い》をリアニメイトすることで能力を使い回しつつクリーチャーを踏み倒し、莫大なテンポを獲得するデッキが流行していた。
このデッキに対し、私が導き出した解答……それは、「《叫び大口》が効かないクリーチャーによるビートダウン」であった。
そして採用された唯一無二の2マナ域が《砂丘乗りの無法者》である。弱すぎて当然私は一瞬で0-2ドロップしたが、デッキを共同開発した現ライバルズのイカ彦は不思議な力で予選を抜けていた。このカードを競技シーンで使ったのは後にも先にも私たちくらいだろう。
■ 6. 《マナの税収》
https://60486.diarynote.jp/?day=20080323
この頃、「白いデッキなのにカウンターが打てる!」という点がいたく気に入っていた私は、クロックの早いビートダウンに《マナの税収》を入れることでシャクりにいくという痩せた戦術に (なぜか) 傾倒していた。
そのデッキをどうにかして実戦レベルに引き上げたいと (無理難題を) 思い、そして組み上げたのが、1枚差しのスペルで相手の意表を突くことをコンセプトにした「銀弾キスキン」であった。
結局デッキとして大成したわけではなかったものの、相手の全体除去やサイドカードを何度も弾き返した頼もしい記憶とともに、《溶岩の撃ち込み》と並んでマジックで最も好きなカードのうちの一つであり、私のTwitterのアイコンにもなっている。
■ 7. 《補強》
https://60486.diarynote.jp/?day=20080426
組み上げた当初は目新しく実際にアベレージも悪くなかった銀弾キスキンだが、終盤は完全に迷走しており、その迷走ぶりを最も端的に表していたのがこの《補強》である。
ただの《ラッパの一吹き》に少し毛が生えた程度のカードを構築で真面目に使っていたというのは正気の沙汰とは思えない……のだが、冷静に考えてみるとそれは《砂丘乗りの無法者》も《マナの税収》も一緒なので、20数年間そんなことばかりしてきたんだな、と今となっては恥じ入るばかりである。
■ 8. 《苦花》
https://60486.diarynote.jp/?day=20080801
https://60486.diarynote.jp/?day=20080802
https://60486.diarynote.jp/?day=20080803
https://60486.diarynote.jp/?day=20080816
とはいえ、私とてクソカードやオリジナルデッキばかりを使用してきたわけではない。フェアリーの時代は、むしろフェアリーばかりを使っていた。
というのも、フェアリー以外のデッキでフェアリーに勝つのはマジでどうやっても不可能だったからである。
私がトップメタを使ってこなかったのは、トップメタになりがちなミッドレンジやコントロールは技量的に使いこなせないと考えていたというのもあったが、少なくともフェアリーに関してだけはその心配は無用で、私はこのデッキでPTQを突破したし、GP神戸でマネーフィニッシュも達成した。何せフェアリーというデッキは、《苦花》さえ引ければ多少のミスなど関係ないくらい圧倒的に勝ててしまうデッキだったのだ。
■ 9. 《覇者、ジョー・カディーン》
2011年ごろ、カバレージの手伝いをしつつ、公式サイトで持ち回りながらも一応連載を持ってライターとしてのキャリアを積み始めていた私は、自分が好き勝手に書けるブログの記事に対し、報酬をもらって書く記事はそこまで面白くならないという構造的な問題に悩んでいた。
その時、ちょうどデッキのアイデアも思いつかなかったため、「デッキを思いつかないんだったら、デッキじゃないデッキを作って記事にしてしまおう」と思って書いたのがこのクソ記事である。
これによって公式の仕事で初めて大量のバズを獲得することができ、面白さを追求することに対して吹っ切れるきっかけになった (その緩みが、のちに何度か炎上を招いたりもしたが)。
■ 10. 《死の影》
このカードとの物語については、晴れる屋で逐一記事を書いてきたということもあり、今さら語れることは特にない。
ただ、このデッキを作った経験と、このデッキに関する記事を書いた経験は、デッキビルダーとして、そしてライターとしてのその後の私に、かけがえのない成長をもたらしてくれたということだけは間違いなく言える。
■ 11. 《上級建設官、スラム》
クソデッキをGPに持ち込んだら1回戦でフィーチャーされたでござる。
ちなみにこのときの調整経験が生きて、『基本セット2019』環境名人戦では優勝することができた。
■ 12. 《山賊の頭の間》
エターナル・デボーテは私が作り上げた中でも最も美しいデッキと信じて疑わない、現時点での私の最高傑作である。
隙あらば持ち込んでやろうとどの環境でも一人回しは常に欠かしていない……のだが、ネオブランドと出会ってからは下位互換ぶりに涙を呑むばかりである。
■ 13. 《アロサウルス乗り》
これについては記事に書いてあることがほとんどすべてなので、特に付け足すようなことはない。モダン最速のコンセプトとして、禁止になるまで使い倒すつもりだ。
個人的に思い出深いカードは他にも《エスパーゾア》《ウルザの塔》《予想外の結果》《壊滅的な召喚》《秘密を掘り下げる者》《苛まれし魂》《暴動の首謀者》《白金の天使》《裏切りの本能》《フェアリーの悪党》……などまだまだあるが、まあそれはFrom the Vault: matsugan2 (予定は未定) にとっておくとしよう。
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Today's Tune
ずっと真夜中でいいのに。「MILABO」