だらだらブログ

なんかゴミです。

【だら草015】なぜ記事には「問」と「答」があった方が良いのか?

 

 【だら草001】で、「『問』と『答』というのは私が記事を書く際に意識していることの一つ」と書いた。

 では、なぜ記事には「問」と「答」が必要なのだろうか?

 一つは、記事のテーマを「問」の形にして投げかけることで、「今からこの問いに対する自分なりの答えを述べますよ」というアナウンスを行い、読者に対して記事の内容を予測しやすくさせられるからである。

 もう一つは、読者に充実した読後感を与えるためである。「問」を投げかけられると、読者の思考はその地点から波紋が広がるように周縁に及ぶ。そうすると仮に「答」を自分で導かないにせよ、「考えた」という感覚が残るのである。

 そして「考えた」という感覚は、読後感につながりやすい。解釈の労力すら必要のない記事の場合は手応えが残らないが、「問」を立てて読者に対して少量の無意識的な負荷をかけることで、手応えを作出できるのである。

 こう書くと一見中身がないところを中身があるように見せる詐欺師の手口のようにも思えるが、無論立てた「問」とそれに対する「答」は適切なものである必要がある。したがってどちらかといえば、中身はあるけれども「問」と「答」という形式のない記事に関して、「問」と「答」という構図立てをあえて持ち込むことで中身を強調することを推奨する、というだけのものである。

 句読点が読む速度をコントロールするように、文章技法を駆使すれば読後感をもコントロールできる。限られた時間を割いてもらっている以上、記事を読んだ読者をなるべく心地よい地点へとガイドするのが、ライターの務めと言えるだろう。

Q.なぜ記事には「問」と「答」があった方が良いのか?

A.読者に対して記事の内容を予測しやすくさせるのと、読者に充実した読後感を与えるため。

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