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【だら草010】「Sinners of the System」はPSYCHO-PASSに必要だったのか?

 

 吉上亮×茗荷屋甚六「PSYCHO-PASS Sinners of the System」の上下巻を読了した。

 2019年に公開された3つの映画は、2015年に公開された劇場版とは異なり短編サイズで、PSYCHO-PASSの本筋というよりは番外編や後日談といった様相が強い作品だった。上記の作品はそのノベライズだが、話の筋としては映画と一緒なので驚きはなかったにせよ、場面ごとの心理描写や細かい設定が知れるといった点で非常にハイクオリティで、満足できる内容だった。

 では改めて、Sinners of the SystemはPSYCHO-PASSという世界観に必要な話だったのだろうか?

 これについては、同じく吉上が書いたASYLUMやGENESISPSYCHO-PASSに必要だったかどうかという話にも似る。書籍がメディアとして古びた存在になってきているこの時代に、アニメ版PSYCHO-PASSのファンでも読んだ人はそう多くはないだろうが、あれらは確実にPSYCHO-PASSの世界観に深みを与えるのに一役買っていた。

 だが、PSYCHO-PASSを「シビュラシステムを描く物語」だけとして捉えるならば、こうしたスピンオフ作品はあくまでも外周を埋めるに過ぎない、読まなくてもいい物語にも思えることだろう。実際、Sinners of the SystemでもCase2やCase3においては、シビュラシステムの出番はほとんどなかった。

 しかし実際には、PSYCHO-PASSという物語は複数の主人公からなる群像劇としても捉えることができる。狡噛慎也であったり、常守朱であったり、あるいは宜野座伸元や征陸智己など、それぞれの正義を持ったキャラクターたちがシビュラシステムによって定義された「犯罪」に立ち向かい、何かを得たりあるいは失ったりする物語。そこにはただシビュラシステムやドミネーターといったSF的なガジェットがあるだけで、根底にあるテーマは「正義とは何か?」という点に変わりはない。

 であるならば、彼らが正義を問い、あるいは正義に問われる物語である限り、それは紛れもなくPSYCHO-PASSと言えるのではないだろうか?

 小説版を読了したことで、そのように思えるようになった。公式側はファングッズとして見ているのだろう、少し値段は張るが、PSYCHO-PASSが好きで小説という媒体も好きな人にはオススメできる作品だ。

Q.「Sinners of the System」はPSYCHO-PASSに必要だったのか?

A.話の本筋だけを理解するのには必ずしも必要ではないが、PSYCHO-PASSシリーズの一部としての物語の強度は十分に備えており、また世界観全体の補強に役立つことは間違いないので、より深く知りたいファンにはオススメできる作品と言える。

 

 

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